「100の思考実験」を読んで、妄想したこと。
最近、旦那さんが読んでいる本があるのですが、
その本の内容がとてもおもしろい。
本の表紙には、
これは「読む」本ではありません。
「考える」本です。
って書いてあります。
受身でただ読むのではなく、こちらがどこまで考えられるか、というのが
とってもおもしろい。
ジュリアン・バジーニ著
寝る前に、本を手にとったら、ひと議論かわさずにはいられない。
あれやこれや考えさせられるものでした。
いろんな見方ができる。
といっても、まだわたしは2つのトピックスくらいしか読んでないけど。笑
それでね、考えたこと。
(ここからはわたしの妄想が8割だけどね~)
いまの時代、
食品には「化学添加物」とか当たり前で、
野菜であれ農薬をたくさん使っていたり、自然に近いものを手に入れることは本当に困難な時代ですよね。
完全にそれらのものを避けることは、よっぽど気を使わなければ、もう難しい時代です。
だから自分で情報に敏感になって、調べたり、
なんとか化学添加物のものを避けようと、ある程度努力することはできる。
無添加の流れも進んではいるけれど、
その一方で、時代の流れとして、また世界の流れとして、
営利目的であれ、その理由は何であれ、
化学添加物した食品や化学製品の衣類など、どんどん身の回りのあらゆるものへと増えていることも事実に思えます。
でも、もし、いま以上に、
化学添加物のものであふれる時代がきたとしたら?
いまの私たち人間の処理能力では、
適切に対処することができないため有害とされる化学添加物ですが、
(理由はこれだけには限りませんが)
人類も危機に直面して進化してきた歴史があるように、
ほんとにもう、これ以上は、人間が進化するしかない!という局面まできたとしたら?
進化するか、滅びるかを選択する差し迫った局面のなかで、
いつか、
「化学添加物も処理しきれる人間」になれる人が現れるとしたら??
仮に、いま、わたしが自分や家族、そしていつか生まれてきてくれるかまだわからないけれど、自分の子どもそしてそのまた子どもあたりまでであれば、敏感に食に対して対処することはできると思います。
でも、
もっともっと先の子孫が生きる時代にはどうなっているんだろう。
化学添加物に「対応できる人間」に進化した人・「対応できない人間」として進化していない人
がいる時代に突入したとしたら、
「対応できない人間」として進化していない人ほど、生きずらい世の中になってしまうのではないかなぁ。
だとしたら、今の時点では「良い」とされている、「無添加」だけど、
無添加以外を受け付けないカラダになっているとしたら・・・
ずっとずっと長い目で見れば、どちらがいいのかわかんなくなるよね、
と思ってみたり。
実際、今の時代でも
毎日カップラーメン食べて元気なひともいれば、
食に本当に気を使っているひともいれば、
この食事しかしない、というひともいれば、
ほんとにいろーんな食べ方をする人間がいるわけです。
どっちが良いとか、悪いとか、
境界線がどんどん曖昧になっていく気がする。
正解なんてないのかもしれない。
「事実」と違っていることに対しての正しいかどうかは判断できるけれど、
そもそも「事実は本当に事実なのか」っていうこともあります。
それほどに、この世界はふところが深い。
いま、わたしたちにとって良いとされてるもののなかにも、
いつか変わってしまうこともある。
そんな世界のなかで、自由に生かしてもらっている。
添加物の話は本に直接なかった題材ですが、
自分の興味のあること、また「良い」と思っているものへの考え方を
違う角度から考えてみるきっかけになる本でした。
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