これだけ書いていてまだ弱気。笑 だけど頑張ります~!
太陽礼拝108回、
miyuki先生のリードのもと
参加してきました。
とっても心地よく爽快感があって
疲労感なく、そしてぐったりすることもなく
ほわんとした余韻に包まれた太陽礼拝の時間でした。
それは
あのとき同じく空間で参加していた方のエネルギーだったり
miyuki先生の醸し出すエネルギーだったり
ヨガハウスの心地よさだったり
差し込む太陽のエネルギーだったり
自分が緊張感なくのぞめたことだったり
数々のなかの重なりの中で味わえた余韻なんだと思っています。
太陽礼拝中におもうことはたくさんあって
でも共通して
自分のダルマともいえる【使命や役割】について
考えていました。
きっと今生での【役割】をこなしているmiyuki先生の姿が美しかったから、かな。
おなじく、使命や役割に努力している方はとても美しいし
とても惹かれます。
「頑張ること」と「無理をすること」は違うような気がしていて
最近ようやく気がついた。
「頑張らないことがいいこと」だといつの間にかそう思うようになっていた。
努力はいらない、ということばもたくさん見るからかもしれない。
頑張らずに何かが叶ったり
どんどん世界が広がっていったり。
それがいいことなんだと思ってたような気がするなぁ。
もちろんそうなのかもしれないけれど
その人のターニングポイントとか年齢とか
そこで何を学ぶのかとかはきっと違うはず。
その人の適正とかもきっとあったりするのかなぁと思う。
最近わたしが気づいたことは
「わたしは努力はしていなかった」ということ。
きっといまはわたしは
「努力をすることを学ぶとき」。
そんな気がしています。
学生時代も社会人になる就活のときも、入社してからも
おそらく自分のなかでは真面目に頑張っていたんだと思う。
本質が見えないなかで、無理もしながら。
で、そのときの頑張りが自分のなかでは違っていて
また一からはじめるようなスタートで新しい道へ。
潜在意識で
「頑張ってもこの道が違っていたらまた一からになるのかな」
と思っていたのかもしれない。
経験することに無駄なことはないと頭ではわかっているつもりでも、
潜在意識のなかでは
「頑張ること=いつかは意味がないものになる」
みたいな感じかなぁ。
「いまここ」には限りなく遠いですね。笑
頑張ったときに失敗することのダメージから逃げるために
頑張るのを抑えていたこともあったと思います。
だから、のらりくらりが一番傷つかなくていい、みたいな。笑
そしたら気づいたら自分の人生を生きていないことになるんだと思います。
あと頑張れるもの、それ自体が見つからないと思っていたこともあると思います。
でも、本当はそれは言い訳でもしかしたら
頑張るもの、本気になるものはなんでもいいのかもしれません。
それが見つからないことを頑張らない言い訳にできるので。笑
自分の人生というところからみたときに、
きっと元々の気質は
努力は好きなほうかなとも思います。
(ちなみに、マラソンのラストスパートは頑張れませんが…笑)
努力はいらない、ということばもたくさん見ることによる刷り込みで
自分ではない人の意見でいつの間にかコーティングされて、
それが自分の意見なんだと思い込む。
きっとこのパターンでした。
夢や目標のために
というか毎日を充実感をもって過ごすために
やるべきことをきちんとやっていったり、
目標に向けての努力とか
今いるところを把握するとか
そういうことに着手するのは
とても美しいことなんだと思いました。
そしたらあとはお任せする。
ゆだねる。
その姿勢がその人の醸し出す雰囲気になったりするんではないかなと。
憧れてやまない方の写真をみては
なんなんだろうこの感じ・・・とずっと不思議だったけれど
なんだかストンと納得しました。
だからありのままがすんごく美しいの。
頑張る自分の力に何度でもなってあげられるような
自分でいたいです。
というか当たり前にしている人からしてみれば
それって当たり前のことだよ、と言われてしまうレベルの話。。。笑
完全にオフにしていた「頑張るスイッチ」を
ONにすることには身構えてしまうけど、
なりたいわたしになるために、
頑張ることで見える世界を体験してみたいと思うようになりました。
なんでも決めることが 一番勇気がいるね~~~。。。
これだけ書いていてまだ弱気。笑
旦那さんに尻をたたいてもらいつつ頑張ります!