ヨガのある暮らし。 Om shanti...

岡山で、シヴァナンダヨーガとボイスヒーリングの小さな教室をしています。ヨガもボディワークも、 唄(声)も取り入れて、 それからざっくばらんにお話も。 ありのままのボイスや体をツールとして、「わたし」に還るヒーリングの時間。いつだってシンプル。毎日はちいさな幸せのつみ重ね。

【yogaのこぼれ話】おこがましいけど、自分が伝えていきたいのは カラダを動かすだけ、のヨーガではないんです。

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今日は、わたしの掃除のはなし。

といっても、片付けの掃除ではないです。こころの掃除~。

 

自分が失敗した経験でも、それが誰かのためになれば、ちゃんと自分のつかったこころの掃除になるのです。

 

 

ヨーガはカラダを動かすだけ、ではなく、

生き方の哲学や方法を学びます。

哲学ってきくと、なにやら難しそう、って思う方もいるかもしれませんが、

どれも日常に活かせます。

 

そして、活かしてなんぼ、です。

 

 

おこがましいけど、自分が伝えていきたいのは

カラダを動かすだけ、のヨーガではないんです。

 

「こっち」のヨーガ。

 

 

ちょこちょこ、書いていきますね。

 

 

 

そのなかの、「カルマ・ヨーガ」に ちなんだお話。

 

カルマ・ヨーガでは、職業に貴賎はなく、

人は善事を積み重ねてくことにより、より良い性格が形成されるとするものです。

 

哲学的・宗教的知識がまったくなくても、

日々の仕事の結果を気にせずに、ひたすら行うことによって、

何者にも縛られない真の自由な存在になるとしています。

 

主婦も、OLも、経営者もだれもが、報いを期待せず、一身に働いていると、

気づけば、小さな枠の「自分」という認識が消えちゃって、なーんにも縛られてないじゃん、というそんな感じです。

 

現実の私生活ですぐに実践できる、ヨーガの哲学ですね、

 

といいたいところですが、

 

これまた、実践となると

難しいのです。。。

 

今日は、

旦那さんの仕事のお手伝いで、撮影のカメラ係りをお願いされました。

 

それでね、

「ピント合ってる?」と聞かれたんだけど、

見た感じ合ってたので、フォーカスを調整せず、ちゃんと確認しないまま、

(ざっくりしすぎ↑)

ご飯の用意に早くとりかかりたくて、

「うんうん、あってるよ~」

と答えました。

 

そのまま一通り撮影が終わりました。

 

撮った映像を確認すると、

 

ピント、合って・な・い!!!

 

やはりね、

ちゃんと確認してないわたしのせいで、

旦那さんに、がっくりな思いをさせてしまいました。

 

普段、旦那さんは自分の仕事していても、頼みごとがあればすぐ来てくれて、

わたしの頼みごともきっちりしてくれるのに、

 

今日の撮影でわたしがしたことって、ほんとに、

恩を仇で返すようなものだなぁと、反省。

 

大げさではなく、誰にとっても

主人は恩人ですよね。

 

そんな主人を軽く扱うこと(そんなつもりはなくても、結果としてそうなったことを含め)ができてしまうこと。

 

す、すみません・・・

 

相手の思いに、ぴしゃりと合わせたことになりませんから。

 

ちゃんと最初から、ピントしっかり合わせていれば、仕事もスムーズだし、

旦那さんに嫌な思いをさせることはなかったんですね~。

 

「ご飯の用意にはやくとりかかりたくて」というのは完全、こちらの都合です・・・。

 

なんで、心ここにあらずのまま、勝手な判断で、ピント確認しないまま撮影しちゃったんだろ~と、回想。。

 

「はやく晩ご飯の準備にとりかかって、ご飯すませたら、イベントの内容考えて、本も読みたいし、ブログも書きたいし、あれして、コレして・・・」

という自分中心の勝手なプランを作り、

それを逆算した結果、

早く撮影を終わらすべく、ピントをあわせる手間を省くことになったんだと思います。

 

そして、自分本位で動いているこころの使い方は、決してここだけではないよ、というのもまた恐いところ。

 

ひとつのこころの使い方を、何に対しても使ってしまっています。

器用に使い分けられるほど、こころを切り替えるのは簡単ではないですもんねー。

 

旦那さんに使っているこころは、親にも、

まわりのひとにも、そうなっているよ、という警告でもあります。

 

 

自分の好きなことをする、というのはとても大事です。

 

でも、

自分の現状(旦那さんとふたり暮らし)には、わたしの「義務」があります。

 

ヒンドゥの聖典によると、各個人の生活は、一般人類に共通の義務とは別に、それに特有の義務をもっています。

(学生、家住者、隠居、出家者の4段階があるが、後世、「家住者」、「出家者」の二つに省略されました。)

そして、人生のどの段階においても、本質的にほかの段階より優れている、というものはありません。人それぞれが、自分の場所にあって偉大、ということです。

 

「家住者」の義務は、なんどきでも他者のために身を捧げることを厭わない覚悟で暮らすこと、そして他者の福利のために人生を捧げること、とあります。

 

「出家者」の義務は、自らのエネルギーを完全に放棄し、美しさにも金にも力にも目をむけてはならない、とあります。

 

 

結婚して、旦那さんと生活をともにしているわたしは、

妻として、食事の用意はもちろん、旦那さんの仕事のサポートをすることは、

当然です。

(というか、妻しごとをしたいと思っているわたしにとっては、です。)

 

そして、どれも、喜んでさせてもらうべきもの。

 

喜んで「する」というより、「させていただく」という気持ちが大切。

 

カルマ・ヨーガでは、自分のエゴは放棄すべきなんですね。

 

仕事の手伝いを頼まれたら、次の予定の夕食作りのことはさておき、

いま自分がするべきことは、仕事のサポート。

カメラに集中すべきなんです。

それが自分の義務を全うすることに繋がるんだと思います。

 

カルマ・ヨーガは学んでいくほどに、

「あ、この出来事も自分に執着している結果だな」ということがおもしろいほどわかります。

 

ヨーガの哲学も、奥が深いのですが、

わたしたちの人生で、永続的な平安や喜びを得るための叡智です。

 

だから、きっと誰もが、どこかで触れたことがある話だろうし、

なるほどね、と思うと思います。

 

頭でわかるだけでは駄目で、

なんども話できいたり、読んだり、学んだりして、

そして実行して、

ようやく腹に、ぎゅっと染み込ませることが大事。

 

書いたとおり、わたしもまだまだなのですが(笑)、

「学んで、実践して、反省して、学んで」が日々のなかにあるのは

とてもおもしろい。

 

 

いろんな角度からのヨーガを楽しみましょう~^^

 

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