ヨガのある暮らし。 Om shanti...

岡山で、シヴァナンダヨーガとボイスヒーリングの小さな教室をしています。ヨガもボディワークも、 唄(声)も取り入れて、 それからざっくばらんにお話も。 ありのままのボイスや体をツールとして、「わたし」に還るヒーリングの時間。いつだってシンプル。毎日はちいさな幸せのつみ重ね。

「声、歌」のちっぽけな定義が壊れるとき。

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自分のなかにある

ひとつの筒がすーっと通って繋がると

内側から

にじみ出るものがある。

 

屋久島のボイスワークで

わたしにもその筒があったことに気づきました。

 

内と外の境目がなくなる。

 

とてもあたたかくて

絶対的に安全な場所。

 

それが自分のなかにも

ちゃんとあったこと。

 

それを体験して

魂ベースで癒されてしまった。

 

 

その衝撃以来、

声のもつ底知れない力の虜です。

 

わたしは元々、歌うことに惹かれていたわけではなかった。

というか、子どもの頃からなんとなく音程をとって歌うことは人並みにはできたので、

上手く歌いたい!という想いが強かった。

 

中学や高校の頃はよく友だちとカラオケにも行った。バンドも組んでボーカルもした。

そして頑張って歌うと疲れる。笑

 

響きを感じて歌ったことも一度もなかったと思う。

 

高音を出すときに喉でつまったような自分の声が好きではなかったので、

まぁ歌うのは別にわたしじゃなくて

もっと上手い人が歌えばいいや、

とだんだんなっていった。

 

大学になるとカラオケにも行かなくなった。

 

「歌=歌詞があって、カラオケやライブで歌うもの」という定義になっていったんだとおもう。とても狭い定義ができてしまった。

 

一度は離れた自分の声。

 

それから

ヨガをはじめてカラダを使っていたら

また声に出会った。

 

「呼吸=声」

「声にすることでからだのなかへ微細な振動がある」

 

ヨガをはじめて気づいたらいつの間にか

声の定義、歌の定義がまったく変わってしまった。

 

とても狭い定義が壊れると

そこには底知れない泉がどうやらありそう。

 

 

まるで「ダンス=ヒップホップでしょ」というこれまた狭い定義が壊れたときの感覚。

 

ダンスも歌も

本来上手いとされる人、舞台にたって注目されるだけのものではない。

 

ヨガが入り口となって、

わたしはボディワークやボイスワーク、アートなど

いろんなツールと出会っていった。

 

なんでハマっていったんだろう、と思うけど

きっと魂ベースでの癒しを求めていたんだとおもう。

 

どれもこれも思考を外す練習だったんだ。

 

ちっぽけな定義をしてしまったものが壊れていくのは

かなりの爽快感。

 

だれにでもプログラミングされている人生の初期設定もおなじ。

このプログラミングも自分でつくったんだけどね、それを

「自分が作ったんだと知ること」

 

それだけでも自由になれるひとつのツール。

 

 

(こういうことを書くとき、

なぜかわたしは「です、ます」で書けない。笑

感じたことをそのままアウトプットしたい。)

 

本当の声ともいうべき声に出逢ったら

 

わたしのなかの可能性が

ふっとわいてくるのを感じた。

 

というか感じ続けている。

 

いっときのものではなくて

湧いてくる泉のように溢れてくる。

 

この感覚は

きっとわたしのなかにあるだけじゃないんだということも確信した。

 

ひとりひとりのなかに

必ずあるものなんだと確信してる。

 

そこにみんなが少しでも触れると

世界はどうなっちゃうかな?

そう思うとわくわくする。

 

わたしにもできることがあるのだとわかることは

こんなにも嬉しい。喜びそのもの。

 

わたしのなかからシェアしたいと湧いてきたことは

はじめてのことで

自分が一番驚いている。

 

 

これまで時間とお金を使って

魂の癒しを

自分を実験台としてやってきたんだなぁと思うと笑える。

 

自分によかったね、と言ってあげなきゃ。

 

なんかゴールのように書いてるけど

ここから わたしのはじまり。

 

きっとこれからも

自分でつくったちっぽけな定義を壊していくんだろう。

 

ちっぽけな定義に出逢ったとき

まだまだハートがきゅっと小さくなるのがわかるから、

 

それに気づいたら自分で解放してあげればいい。

 

味わって楽しもう。