境界線を曖昧にすること
最近、机の上がお気に入りのチャイ子さん。
事務処理をしているとこのとおり、ノートの上にもわが者顔でやってきます。
ここわたしのエリアよ、と言わんばかり。
さて、
今日は3月に行うキールタンイベントの打ち合わせでした。
声をかさねて
音で遊んで
自分自身を整えていく時間。
課題も見つけながら、また取り組む。
そうして
練習が終わって、気持ちが満たされると
たまたま読んだコラム記事にうわぁぁとなりまして。
インタビュー形式の記事。
ピアニストであり作曲家、
またFM京都「Aricoピータースレストラン」のパーソナリティも務めてらっしゃるAricoさんが語る音楽の世界です。
「音楽の宇宙、
例えばインド音楽、雅楽、ジャズ、クラシック、バロックなどそういった音楽のジャンルみたいなものをとっぱらったところに、
音楽の本質・宇宙があるんだって、
そのインドの方の一音を聴いただけで、強く感じさせて頂きました。」
「はじまりもなく、終わりもなく、円を描いている。」
って教わったということを思い出したんです。
(抜粋させていただきました)
↓コラムはこちらです。ぜひ前文読まれてみてくださいね^^
なんだか言葉にできない。。。
わたしは音楽のプロではなくて
まるでAricoさんが見てきた舞台とは違うのだけど
それでも音楽の本質って、
ジャンルを超えた先にあるっていうのに共感しました。
そして
はじまりもなく、終わりもなく、
円を描いている。
胸が熱くなる瞬間って
これを感じられたときなのかもしれない。
キールタンは音・ことだま・波動・祈り
そういった要素があり
音楽って言うのとまた違うのかもしれないけど。
ディジュリドゥとのハルモニゥムを演奏させてもらうときでも
わたしがなぞっているのは、音とひとつになる瞬間。
それを体感しているとき
とても幸せだったりする。
そしたら、この絵に出会い、
あぁ、ほんとうに始まりも終わりもない、、、!
境目もない、、!
ということに心を射抜かれました。
モノには名前があったり
考え方にも名前があったり
見えるものには名前があり
それが区別だったりするんだけど
それって本当は
ただの認識にすぎないのかもしれない。
便宜上、ただそう決めただけ。
決めてしまった区別をとっぱらってあげると
境界線は一気にぼやけてくる。
それでいいのだと思う。
まあるい目線で世界を見てみる。
すると
なんとも愛おしい世界が広がる気がして
わくわくがとまらなかった。
見ている世界の
境界線をどんどん曖昧にしていきたいです。
そして円を描いていきたいなぁ。
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岡山おうちヨガ & ボイスヒーリング sahsya yoga (サーシャ ヨガ)